ちょっと前のヴォーグ・オム日本語版や最近の朝日新聞、雑誌「PEN」等で川久保玲にインタビューが掲載されるなど、最近川久保玲がメディアに登場する機会が多くなっています。
これって単純に銀座コマツにオープンする「DOVER STREET MARKET」の宣伝だよね、という単純な理解を超えてこの平川武治さんによる「川久保玲/コム・デ・ギャルソン」分析が面白いです。すごく長いのですが、個人的には永久保存したいぐらいの面白さです。
平川武治のノート-ブログ/ The Le Pli: 期限限定ブログ/「なぜ、今頃喋り出したのか?川久保玲。」/最近の騒ぎについての私感。
平川武治さんというのはどういう方かというと、
1945年大阪生まれ。72年渡仏。73年からロンドン在住。帰国後、建築史を学んだ後、上京し、アパレルに就職。現在、フリーランスでモードの評論をパリと東京で行う
ということで、いわゆるファッション評論家と呼ばれる方なのですが、評論以上の分析が面白く、単なるモードの世界を越えて現在の社会とそこでのものの在り方みたいなところまで踏み込んでいるのがとても勉強になります。
リンク先記事では特に川久保がどのインタビューでも語っている「ビジネスとファッション」について、その背景を具体的な例を用いて解説しています。例えば、在庫問題に関しては、
前述の如く,この世界は"在庫"が儲けの決め所である。商品在庫と原反在庫とである。 この企業もそれなりの"在庫"を持っていた。
この"在庫"減らしの原反在庫の方を処理しはじめた時期とこのブランドのクリエーションが"特異性"から"特殊性"へ移行し始める時期が重なる。特に、CdGブランドに於ける"特異性"は素材のオリジナル性が大きな比重を納めていた。が、ある時期からオリジナル素材を使う事が減り始める。寧ろ、在る原反在庫を意識的にデザインによって消化し始める。パッチワーク、染色、プリント、裏使い等によって主に、CdGH.P.ブランドで展開する。
ああ、なるほど。コム・デ・ギャルソン オム プリュスがああいうデザインになっていったのはそういう理由だったのか、みたいな。
また、その向かうデザインの先が、ビジネスとして海外の同性愛者からの売り上げを確保するためのものである、というのも興味深いところです(男性用スカートって誰が着るんだろう、と思ってたんですが、なるほどなあ)。
で、リンク先記事も面白いですが、平川さんのインタビュー記事である以下の記事も非常に面白いです。
1972年頃からイッセイ・ミヤケが、その10年後くらいにコム・デ・ギャルソンとヨウジ・ヤマモトが登場し、ひとつの地位を獲得し始めます。その後に続くアンダーカバーにせよ、海外に出て行ったデザイナーの背景には、世代が持ち得たジャポニズムがあります。
イッセイは、もともと三宅一生がファッションイラストを学んだ人で、民芸運動等への関心もあったことから、グラフィックを基礎にしながらパリに打って出た。
ヨウジやギャルソンは、海外では禅の影響だと言われるけれど、僕にすればイッセイのポジティブなジャポニズムに対し、ネガティブなジャポニズムを引っさげて行き、アンダーカバーは、ストリートのジャポニズムをパリに持ち込んだ。それぞれに世界に持って行けるだけの日本の風土があったと思います。
海外で成功するためにはジャポニズムというものを理解した上でそれをどういう形で提示していくか、が肝になるわけですね。
その理解の上、さらにヨウジ・ヤマモトやコム・デ・ギャルソンの成功した理由として
両者の優秀なところは、パリのモードの世界が何を拠り所にしているか理解したことです。山本耀司はそれを「エレガンス」と把握し、そちらに向かった。川久保玲はそれをわかった上で、「自分の居場所はそこではない」と判断し、「ここに立っておれば、自分は自分なりに評価される」という地点を見出した。
海外で日本人が受け入れられるには、アジア人でありイエローの心のありさまを表現するしかない。そういうことへの自覚が独自のボキャブラリーを培わせたと思います。
こういった方向からの分析というのはモードの世界のみならず製品やサービスの海外展開の際にも応用できそうです。
最後に川久保玲とは関係ありませんが平川さんのインタビュー記事中にあった興味深いテキストを引用して終わりにしたいと思います。
僕がいまのパリのモードで注目しているデザイナーは、「肩だけの服」といったパーツ化を試みています。シャツならシャツそのものだけでデザインを競っても、もう新しいものは出て来ない。






![Pen (ペン) 2012年 2/15号 [雑誌]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51v0xEPaQmL._SL160_.jpg)


