6. február 2006
clipper's数年の総括として。
最後、文筆家、表現に関わる仕事を本当に運良くもさせて頂いた全ての語彙。それらを駆使して、みなさんに一つ文章を書こうと思い、キーを叩きましたが、無理でした。
書き抜けなかった理由はこの一つしか思い浮かばない。この宇宙において現時点の自分が無価値だからです。それどころじゃない。きっと生きていることだけで世界に迷惑をかけているような存在といって間違いない。
僕のことを大嫌いな人、また逆の人。ここを読んでいる方、読まれたことのある方はそこに属していらっしゃる、ごく少人数の物好きだと思います。ごめんね、そいつら。でも、終わりは来るよ。
最後でだらだらするのは一番よくない。悪い癖だ。さて。
あなたが生きているうちに、あなたは僕の書いた文章(じゃないかもしれないけど、何か)を目にする。「と、いいな」なんて思ってないよ。そうなるの。
ここ読んでる今より、その時のほうが楽しいよ、あんたら。だからこのブログは続ける必要ないから終わりなのね。
僕の思いうる限りの力いっぱいの憎しみと、ありったけの振り絞れる限りの愛情を、読者の方全てに。本当に、ありがとうございました。あんたらが評価される時代は狂ってるかもしれない。でも憎しみはないとおもうよ。戦争もない。
ようやく最後です。今これから数分以内に決意を表明します、なんらかの。この下にある「save」を押したあとに、目の前にあるこの僕の初めて稼いだ、実に実に汚いカネで買ったノートパソコンを、気狂いじみた生まれて初めて使う「フィジカルな暴力」で破壊する(されるよな、こんなチョロいの。たぶん)ことによって。
じゃ。
移転先
このブログの移転先についてお問い合わせをいただいたので、公開します。実家の自分の部屋の中に移転しました。
28. september 2005
漫画大仏

17. september 2005
世界初! タージマハルで儲ける方法
かの有名な、インドはアグラにある『タージマハル』ですが、偶然にも父がそこでモメてくれたおかげで、とんでもない方法が見つかりました。
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・世界初! タージマハルで儲ける方法
タージマハルには、各門の入り口で入場料を取るようになっています。地元人は20ルピーだかのはした金で入れるのですが、外国人にはUSD5$と500ルピー、もしくは750ルピーを要求されます。外国人だけべらぼう高いです。
タージマハルでは、たばこ、ライター、携帯電話、音楽再生機などの持込が禁止されており、それが入門の際のチェックで見つかると没収、もしくはそばにあるクロークに預けてから入場するということになっているようです。ですので、何か持ち込んでみましょう。
するとほどなくそれらがバッグの中から見つけられ、没収とか言ってきますので、ここで「モメ」ます。方法はなんでもかまいません。モメればいいです。そして、いい加減疲れてきたら、「もういい、キャンセルするから金返せ」と検問者などに怒鳴り散らします。そして、リファンドさせましょう。チケットの裏には“No Refund”と書いてありましたが、そんなのはどうでもいいです。ブチ切れてモメればいいです。
すると、いい加減向こうも諦めますから(ここまで30分くらい)、金を返してきます。すると、あなたは750ルピーを手にすることになります。ドルでは返ってきません。
さああなたは、今5$と250ルピーを支払って、のちに750ルピーが返ってきたという状態になります。するとどうでしょう。05年8月現在では、1US$の両替レートは42Rsでした。つまり、公的レートだと5US$は210Rsですが、5$を250Rsで置き換えて返金させたということになるので、つまりモメてキャンセル、そしてリファンドまでさせれば、一回につき40ルピー(100円くらい)が儲かることになります。
タージマハルには、入場の門がいくつもありますから、それを巡ってこれを繰り返せば、死なない程度には生きていられるんじゃないでしょうか。こんなことできないだって? でもこれは父が本当にしたことですからね……。
15. september 2005
本日で旅の打ち止め
一ヶ月の旅からようやく日本の自宅に帰ってきました。旅記録をいくつか書いてきていますが、さすがになかなか渡航中は時間が作れずじまいで、まだ全然書けてません。手書きでノートにかなりの量を書いてあるので、それをテキストに起こして、あるだけ分の記録をさっさと書こうと思います。
記録なので、読み手の方には面白くないと思いますから、さっさと全部書いて、終わったらまた適当なことを書き散らす予定です。つまらない雑文書き散らしをいつも読んで下さっている方には、とても感謝しています。ありがとうございます。
――知に働けば角が立つ。情に竿させば流される。とかく、この世は住み難い。(夏目漱石)
がんばりまーす。
12. september 2005
ゴールデントライアングルすごい
แสดง。なんて書いてあるのか僕にはわかりません。
さて、ただいまタイはチェンライに戻りました。これからバンコクへ飛行機で一時間半、そこで3日ほど休んで、すっかり帰りたくない日本へ戻る準備をするというところです。
しかし昨日行ったゴールデントライアングルはすごかった。ゴールデントライアングルというのは、ミャンマーとラオスとタイの国境をなす黄金の三角地帯なんですが、その3国が見渡せるというすごい場所。ちなみに、ホテルはリゾート・ゴールデントライアングルというところで、部屋からその国境(メコン川が国境になっていて、そこが三角なのね)が一望できるいいお部屋でした。
で、タイの川岸からスピードボートに乗って、ミャンマー側をかすめて旋回、ラオス側に上陸、ぐるっと見渡して元のタイまで戻るっていうのをやりました。一時間くらいで父子二人とトゥクトゥク(まあタクシーみたいなやつ)の運転手まで乗せてやって600バーツ(1700円しないくらい)。お金はどうでもいいんですが、そのスピードボートっていうのがすごいすごい。トヨタの16バルブエンジンを積んでるの。体感速度100キロくらいか? まあ、動画撮ったりしたんでそのうちまとめてタイ北部編でも書きます。
ということで、あと30分くらいしたら空港に向かいます。
しかしタイは都会だ。どこにいってもインターネット使えるし、一時間20バーツから40バーツ(50円から100円くらい。要はタダみたいなものだ)。日本からも近いしツアーも格安でありますから、まだ海外に出たことがない人なんか、ぜひ一度行ってみてはいかがでしょうか。
そういえば、日本は自民党が絶対多数をとったそうで、これじゃあ委員会全部押さえられますね。BBCで見ました。
旅なんで、わざわざネットつないで日記書いてるのももったいない。残り3日がんばります。それではまた。しかしコメントつかないね。これ旅記録書いてても誰も見てねえんじゃねえのか。まあいいけどねー。
11. september 2005
タイからラオスへ
更新が滞っていますが、ネットカフェで日本語が使える環境がさすがにありませんでした。今は無理矢理インストールさせてもらって、日本語を使えるようにしました。
今はタイ北部、チェンセンから北へ、ミャンマーとラオスが見渡せる国境、ゴールデントライアングルにいます。おおむね健康です。ときどきおなかを壊しますが、そんなものだと思います。
で、いまさっきラオスまでスピードボートに乗って上陸してきました。スピードボートすっごい面白かった。でもジェットコースターが怖い人はまず乗れません。水面まで至近距離の中、60キロくらい出して滑走するので、体感速度にして100キロとかだと思います。
今チェンセンのネットカフェ(さすがにここには一軒だけしかなかった)で、これからぐるぐる歩いて、夕方前にゴールデントライアングルに戻ります。明日はチェンセンからバスでチェンライに戻って、飛行機に乗ってバンコクまで戻ります。
って書いてたら、この前友達になったネパール人がメッセンジャーで話しかけてきた。インターネットすごい。ということで、もうすぐ旅も終わり。ああ、日本に帰りたくない。
5. september 2005
28 Aug, インドはアグラ
今日はインド7日目の分をテキスト起こしします。過去分とあわせてご覧下さい。
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インド人をこうやって毎日観察していると、よく数人(二人から六人くらいまで時と場合によって多かったり少なかったりする)が集まってなにかしているのを見かける。談笑というわけでもないし、なんなのかなあと思っていたのだが、それについて父に話すと、クリアーな結論に達することができた。
僕「あの人たちは何をしてんだろうねえ?」。父「集(つど)ってんだろ」。
そうか、集(つど)ってるのか……。父、辞書を取り出す。「集(つど)う、っていうのは、現代風に言えば『たむろする』だな」。
広辞苑『たむろ(屯)=仲間やある職業の者が集まること。また、その場所』
うーん、明瞭。たしかにそうなんである。インド人にお前ら何してんだ、って聞いても「集(つど)ってます」とは言わないだろうなあ。インド人にはどうやら無意識下に集いの心があるようです。
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たむろする→hang around
〜の付近にたむろする;<店など>を冷やかして歩く
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「勉強になるよな」と父。まったくですねえ。
(ここから21時45分に加筆)
ホテルから出たら、昼に父親が使ったというリキシャワーラーがすぐに寄ってきた。父いわく、悪いヤツじゃないという(このリキシャワーラー、名前はムハンマドと言い、のちに大活躍するのだが、この時点では知る由もなかった)。そのワーラーに「近くにいいレストラン知ってるか」と聞くと、ガッテンガッテンしているので任せた。その途中、彼の友達のワーラーが寄って来て、二人は重いから一人乗せてやるよ、みたいな感じでやってきた。僕はそのもう一台のリキシャーに乗り換え、すると二台のリキシャーが並列して一人一台使ってレストランに向かうという、贅沢なんだか違うんだかよくわからない状況になる。しかし、仕事中でも集(つど)うんだねえ、こいつら。
5分足らずでレストランに到着。タンドリーチキンとシシカバブをオーダー。初めて本場でタンドリーチキンを食す。うまい。タンドリーって、ヨーグルトにスパイスを加えたものに漬けてから釜で焼くらしいですね。タンドゥールっていうんだっけな、釜。インドにはこの料理を初めて開発した店があるらしい。ガイドブックに書いてあった。まあ、食に関する知識がほぼないので、詳しい人がいたら教えてください。
(写真)
で、これ。食後に出された何かハーブみたいなもの。名前を聞いたら「エニーシード」って言ってた。なにかの種? よくわからない。とりあえず口をリフレッシュして、しかも消化剤としての効果が期待できるというものらしい。とりあえずちょっと食べてみる。噛むとけっこう硬い。味は大正漢方胃腸薬そっくりだ。マーズレンにも似てる気がする。そう言われると、確かに消化剤っぽい気がするねえ。ガッテンガッテン。一緒に氷砂糖も出る。たしかにインド、香辛料の多いのばっかし出てくるから、こういうのが合います。
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28日の後半は以上です。なぜかノートに前半が後半のあとに書いてあって、先にテキストにしてしまった。この日は昼くらいから、かの有名な「タージマハル」に行ったんでした。場所はインドのアグラ。タージマハルで現地人とモメたりする事件があったので、それは次回に回します。日記の順番がむちゃくちゃになってて読みづらいと思います。文章も一切推敲してないので、ますます読みにくいですね。ほんとすいません。
ちなみにこれを書いている今日は、ネパール四日目。さて明日もがんばります。
4. september 2005
ネパール4日目
ネパールのホテルを二つ目に移動しました。どちらもタメル地区という、アジアでもおそらく一番大きな繁華街(ネパールはエヴェレストがあるし、トレッキングしたい外国人はみんな集まってくる)の中に宿をとっています。
今日は二つ目のホテルに移動。プールも付いてる中級クラス。でもぜんぜん安いですけどね、日本の物価の10分の1だから。ここって。
しかし歩いていると、日本人と見るや、「ドコイキマスカ!」「コレゼンブヤスイヨ、カウトイイヨ!」とかいろいろ言われてうざったい。日本語しゃべるんならこっちも日本語をしゃべって撃退します。日本語わかるんだよね? と聞くと「ワカリマス」とか言うので、「後天性免疫不全症候群怖いよね」とか「田伏村って首相いっぱい生み出してるよね」など言って、わかる? って聞くと、「ワカリマス」という。わかるわけないだろうが。
でもインドよりぜんぜん気候もいいし、今日なんて風が吹いたりしているので、すごく快適です。
明日は、昨日別れたネパール・バクタパルのスレッシュ君がどうしてももう一度会いたいというので、ホテルまで来るそうです。僕は彼におみやげとして、持ってきた日本の時計をあげようと思います。二万円くらいするやつだから、たぶん彼らにはびっくりするような値段なんだろうけど、ネパールのドメスティックな環境しか知らない彼らのこと、値段がわからないことで、逆に驚かずに喜んで受け取ってくれることでしょう。
これから父と昼飯を食べにいきます。12時45分。では。
3. september 2005
ネパール三日目、郊外へ
今ちょうど2時半、ネパールの少しだけ郊外、バクタパルというところから帰ってきました。今カトマンドゥのネットカフェから書いていますが、今日はネパール全土、土曜日(日本の日曜日がネパールの土曜日にあたる)なのと、父の日(わかんないけど、みんなファーザーズディって言ってるから父の日だと思う)のフェスティバルで、いつも使っていた快適なネットカフェが使えなくて、ようやく開いていてしかも日本語が打てるところを見つけたという次第。
今日はそういうわけで、短い報告になります。
バクタパルは、ダルバールスクエアやらパレス(かつての王宮、その昔、ここに遷都したこともあるという)のある、文化の街。父がそこへ行ってみようということで行ったんですが、思いがけないことに、素晴らしい出会いがあって感動。
テレビ番組に、有名人が日本のどっかの小さい村を訪ねて泊めてもらったりして出会いに感動、みたいのがありますが、まさにあれをやってしまった。
バクタパルまで、カトマンドゥの歓楽街・タメル近くの郊外行きバスに乗ってバクタパルまで一時間くらい。到着して、道を聞いた20歳の大学生のスレッシュくんが道案内をしてくれたのをきっかけに、家まで連れていってくれたり、友達を紹介してくれたり、地元の名所を案内してくれたり・・・、となんだこれはウルルンなのか、と思うくらいの出会い。出会いの後は当然別れが来るし。帰りのバス(父は別ルートを使うことになり、一日別行動することに)で、なんていえばいいんだろう。泣いちゃったよ。だってさあ、僕と父とうちの家族にって、最後プレゼントとかくれてさあ、なんか今も書いてて思い出し涙出てきた。あと家に4歳の男の子がいてさあ、超かわいいの。僕になついちゃって別れるとき泣くんだよ、たまんないよ。
すごいんだよ、彼は本当に超誠実でさ、地元はほとんどみんな友達みたいなもんでローカルな地域社会があって。そこに僕らを喜んで招待してくれて。匂いのある街っていうのはああいうところなんだなあって。彼は大学生で勉強とかすごい熱心でさ(一つしかない図書館から借りた、マシナリーエンジニアリングの教科書すごい大切に使ってたりするんだよ、どうすればいいんだろうね、われわれは。彼に何ができるんだろう?)、だけど稼げるお金なんて日本から考えると知れてるわけじゃん。なんで僕が彼よりお金持ってるのかって思うと、ほんと込み上げてくるものがあって。
この旅行、来てよかったと思う。僕ももうちょっと人になにかできる人になりたいと思った。
また詳しくは次回。では。
2. september 2005
17日目、バラナシ明けて一日目
30, Aug 17日目、バラナシ明けて一日目
しっかりのどをやられた。
昨日の疲れと暑さに耐え切れず、クーラーとファンをつけたまま寝てしまって、起きたら喉が渇いていて軽く痛い。あと汚い話ですが、下痢が一日続いており、不安。フィニッシュコーワと正露丸を使うが、まだ治らない。普段、日本でもめったに外出しない僕にとって、いきなり一ヶ月の海外遠征(10時間の陸路移動とか)はきつい。あきらめる。で、今日は夜に散歩ついでに出て、屋台で消化のよいバナナを買い、ドラッグストアに寄る。インドのバラナシでは、10時となるとほとんどの店と屋台が閉まるが、薬局だけはやっている。病院がかなり高いから、薬だけでなんとか、っていうのが現地の人たちの考えみたい。
で、症状を説明して下痢止めを購入、あと水も買ってくる。買ったのはこれ(写真)。
15分も歩いて、リキシャワーラーがうようよ寄ってくるのを片目に、蔑みながら帰ってくると、もうそれは汗だく。滝のように発汗。またTシャツ交換だ……。
うーん、さきほどのその買ってきた薬なんだが、これ本当に下痢止めなのかしら。ちゃんと英語で説明はしたけど、通じてるのかなあ。逆に便秘薬だったりしないのかなあ。あとこのタブレットの色とかすごいし(ブライトオレンジ)、一錠がやけにでかいし。粒ガムの3倍くらい?
薬は二種類。でかいオレンジのZENFLOXとFulazolidone。二日分で13ルピー(33円くらい)。え、儲かるのかなあこの値段で。安いよ、思ったより。って、インターネット環境が近くにあれば、今すぐ成分を調べたいところだが、ない。死んでもいいや、ガンガー近いし、ってことで両方とも半分に割って(でも慎重)飲んでみることにした。怖いなあ。
結局、今日は朝から晩まで寝て休養をとることにした。旅はまだ続くので仕方ない。
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★下痢(げり)
diarrhea,[医]shit
have loose bowels(下痢をしている)
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一日をほとんど無駄に使ってしまった気もするけれど、長旅だから許してください。
一方、父は風邪の治りかけながら、まだ活動しており、今日はネパール行きのチャーター便を押さえに行ったらしい。でもまたトラブったらしく、帰ってくるや機嫌が良くない。話を聞くと、チケットを押さえたって言われたあと、ホテルからスクーター二人乗りさせられ、20分も離れた本社に連れて行かれたにも関わらず、「満席です」と言われたという。インドは絶対にこのまま後進国のままだと父は言うが、私もそう思う。
あと、これはアーグラーも同じだったが、バラナシは本当によく停電が起こる。今日だけで30回くらい。短いのはほんの一瞬のフェイントみたいなものから、長いのは2分とか。でもそんなもんなんだろうな。
あとそうだ、バラナシと言えばガート(沐浴場)。当然一日寝てたから、まだ全景を見ていないので、明日はがんばって起きて行ってみようと思う。日の出のガートがすごいらしい。日の出は5時半だとフロントの兄ちゃんに聞いたので、明日は一応4時半に目覚ましをかける。あとモーニングコールを電話で頼む。
ということで、今23時ちょうど。寝ることにします。では。
18日目、ネパール二日目
ずいぶん更新が遅れてしまいました。毎日夜になると、日記をノートに記録しており、ノートからの素起こしで更新をしています。で、今回は昨日の分。インドを出る一日前。ちなみに今はネパール、首都カトマンドゥのネット屋から書いてます。
予定ですがまた明日、8月31日以前の分を更新します。
あ、今までのルートだけ最後に。タイ・バンコクからミャンマー・ヤンゴン、そしてインドはデリー、アグラ、バラナシと電車移動(10時間とか乗るの)。今日のフライトでネパールに入りました。
ではわたしのくだらない一日をお楽しみ下さい。コメント大歓迎。
8/31, Aug
父が「ガートで沐浴しないと救われないぞお前は」と脅すのでガンガーに行くため、父 が寝付いてからモーニングコールを頼んだのが正解だった。起きたぞ。朝4時半。でも起きたのに、肝心の父がまだ寝ている。どうするかなあ。
五時。まだ起きない。テレビでBBCを見ていると、またハリケーンのカトリーヌのニュースで賑わっている。全くどうでもいい。ここバラナシじゃ、その被害者の何倍とかの数が死んでいくわけで、しかも国民として登録されてない人だらけ。人権とかないし。牛だけ権利があるから。
で、ようやく父起きて、5時半くらいにホテルを出る。オートリキシャーを探すが、出払っている。しょうがないので、寄ってきたサイクルリキシャーに乗る。ここは死ぬほど道が悪い上に、目的地は遠い。でも30ルピー(83円くらい)。リキシャワーラー(リキシャーやってる人をヒンドゥー語でこういう)がんばった。
ガート(沐浴場)到着。ガンジス河が眼前に広がる!
……んー、でも割と普通だなあ。陽が登った後になっちゃったからかなあ。
で、川のほとりまで降りていくと、ガートがたくさんあって、確かにみんな沐浴している。水浴びとか洗濯してる人もいっぱいいるけど(写真)。
30秒後、ボート屋の兄ちゃんが客引きに来る。一時間のガンガーのボートクルーズ(つっても当然人力だよ)はどうだ? と言ってくる。まあガンガーの名物だからね。つまり、火葬場とか各ガートをめぐるっていう、まさに聖地を踏みにじる“観光”に特化したビジネスが展開されている。いくらかと聞くや、一人250ルピー(700円くらい)。だが、我々は「地球の歩き方」で、乗り合いボートが10ルピー(27円)、貸切チャーターでボート一台が250ルピーだと知っている。
「いらないからあっちいけ」と言うもタフすぎるインド人がわらわら私の周りにサークルを描く。うざったい。インド人は本当にうざったい。そこで同じ目に遭っているフランス人を発見、近寄ると話しかけられる。ちなみに父親は不機嫌そうに(眠たかったらしい)離れてタバコを吸っている。3度目の戦意喪失だろうか。
それは置いておくとして、フランス人。男女カップル。「すごいボり方で参りますねえ、帰ります?」と言ったら、当然同意される。フランス人はかなり旅なれているらしく、それでもまだメげない。交渉を続けている。がんばるなあ。そんな間にも、わらわら物乞い連中がやってきてまとわりつく。たまに肩とか触られると思い切り怒鳴る。いちいち全員僕に話しかけたら死ぬ呪文とかあれば使いたい。死ね死ね死ね!
で、フランス人が私ら二人と一緒に四人でシェアして乗ることにしない? と提案してきた。いいよ。がんばってね交渉。まかせた。で、数分後、違う欧米人が一人やってきたんで、相場について尋ねると、「昨日二人でおのおの50、100ルピー(270円くらい)で乗ったよ」と言う。どうやらこれが底値らしい。で、また交渉。一体いつになったら終わるんだろう。悠久なるガンジスに想いを馳せる。違うよなあ、絶対。
で、30分近く経って、4人各85で乗ることでしぶしぶ合意。川のほとりを巡るツアー開始。火葬場とかを見る。撮影禁止。だめだよ撮影したら! 近隣の人に迷惑ですよ!
そのあと、なぜか無言で全員その火葬場近くに降ろされ、これで終わりかなと思うも、横の建物に入れと指示される。まあそれで説明とか受けるわけ。「人間には5つの力が宿っている」とかそういうの。ふーん。ああ、確かに人が焼かれてるねえ。でもたいしてグロテスクではないから、意外やたいしたことはない。その間もガイド(ってコイツ、ボート漕ぎを兼ねてるんだけど)は説明を続ける。
そこでフランス人の女のほうがやおら耳打ちしてきた。「どうする? ここチップやるべきかしら?(半笑)」。ははは! 同じこと考えてんの。私「まあいいとこ10でしょー」と返す。説明が終わり、建物から出るところで何か御婆さん(この人本当に死にかけって感じで味出してた、でもこんなのいっぱいいる)が、呪文みたいのを唱えたりしている。
最初にそれをやられたのが、うちの父だったのが失敗だった。「ドネーションをお願いします」と言われ、カチン。「だって俺の宗教じゃねーもん」と言いながらノーチップ。でも正しいんだよ。父は望んだサービス以外には一銭もくれてやらない方針らしい。続けてフランス人、僕に目配せ・ノーチップ。僕も知らないふり。火葬場の薪が1キロ150ルピー(430円くらい)なんだって。だからくれっていうの。だから勝手に死ねって。あと働けよ。つうかなあ、こうやって子供の頃から物乞いしててこうなってんだろうなあ。ホント、ダメな話だよなあ。
それは置いておいて、ガンガーの風景はこんな感じ(写真)。水質は日本でいうと、霞ヶ浦か北浦って感じ。とりあえず僕にはホーリーでもなんでもなかったわけで、異教徒なわけで、っていうか日本人はみんな資本主義っていうのを信仰しているわけで、って金なんだよ金。
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BGM;Spank Happy “資本主義は未だ有効である”
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つうかおまえらほぼ全員たかりじゃん。チップとかドネーションをやるかやらないか、なんてこっちが決めることでしょう。決めるなよお前らが。
ちなみに我々の葬儀佛教の主、ブッダ(ゴータマ・シッダルタ)っていうのもヒンドゥーの神の一人なわけで、川を下りながら一応まで、般若心境を唱えておいた。Japan
as NO.1。みなさんも何か覚えていきましょう。信心深いとか思われます。いいんじゃないでしょうか。
一方、フランス人のニコルさんカップル(31歳)と一緒に降りてお金を払う。乗ってる途中、父に「一時間って言ってたのにもう一時間半かかってるから、こいつら絶対五割り増しよこせって言うんじゃない?」って笑っていたんだが、本当にそういってたと父が言ってた。ははは。うざったい。
で、やはり神聖じゃないこの川はでっかい河って感じでした(決して宗教の冒涜などではなく、私の感じたことなので、読者の皆々様にはあしからずご理解下さるようお願いいたします)。
インドはみんなが楽しそうです。後進国そのものだよ。じゃあ、もう二度と来ないか、っていうとそうでもない。慣れてくると金持ってるほうの勝ちだよ。あと、何だかちゃんとしなくちゃいけないなって思った。あ、これが所謂、反面教師か。なるほどね。
で、ニコルさん二人にネームカードを渡して、メールしますね、とかやりとりして別れる。
帰り、まだ8時前。早起きしたし、お腹が減ったね、と食堂に入った。お腹をこわしているので、辛いのはもう食べたくない。逃げ道は中華料理とばかり、Mixed
Fried Rice(五目チャーハンってやつですね)とマッシュルームチャーハンを頼む。あとオレンジジュースとコーラ(ペプシが主流)。
わりと食欲も回復してきたらしく、全部食べられた。割とおいしく頂きました。ちなみに一品60〜80ルピーだった。観光地だからやや高い。帰り道、ホテルの方向に歩いていると、また小バエたちがたかってくる。どうでもよい風景だ。
しかしだ、我々はキョロキョロして何かを探しているような動作をしているわけでもなく、一路前に向かって歩き進んでいるわけだ。そこにリキシャーとかが声をかけてくるわけだ。それに、じゃあ乗りますって言うやつ、いるか? 相当少ないと思う。つまり、日本に置き換えて考えると、渋谷を歩いている人に「ブラジャー要りませんか?」って話しかけられるようなものだよ。それで買う人、いるかもしれないけど、極めてマニアック(BGM;電気グルーヴ×スチャダラパー“聖☆おじさん”)だよ、それ。
帰り道けっこう長いってんで、確かに体調も万全と言えない我々は、オートリキシャーに乗ることに。
いくら? 「50!」。買った! と父。すると横からまた違うワーラー(ドライバー)が集まってきて、「じゃあこっちは40だ!」とか言い出す。だからさあ、そのやり方は汚いだろ? こっちがもう一回決めたっていうのにちょっと安い値段を提示、かよ。他人の土俵で相撲を取るな。ほんと汚いのがいっぱいいるよなあ。ダメだなあ。
オートリキシャーに乗って悪路を帰ってくると、行きに乗ったサイクルワーラーが寄ってくる。察するに、「行きに乗ったのに、帰りも俺のに乗ってくれるんじゃないのかよう」みたいに言う。浮気は許さないらしい。
うざったい。
部屋に着くや、疲れて寝ることにする。10時頃、部屋に電話が来るが、名を名乗らない。なんか知らないが、チケットがどうのこうの言うので父に代わる。どうやらネパール、カトマンドゥ行きのチャーター便が取れたらしい。しかしこれも昨日モメて相当叩いてやったからであって、父お疲れさまです。
父起き出し、旅行代理店へ。がんばってくれ。僕はBBC見ながら寝てた。
で、18時頃起き出し、ホテルのレストランへ。またここでひともんちゃくあり(省略します)、父激怒、一人でさっさと部屋に帰ってしまった。一人で(省略したからみなさんにはわからないと思いますが)スペシャルメニューのチャーハンを食べる。朝のよりおいしい。さすがにこっちはホテルのコックが作ってるんだから当たり前だけど。
それで、帰る途中、ホテルのロビーで新聞を読んでいると、ツアー客の日本人が集まってきた。見ていると挨拶とかされる。「ツアーですかー?」と言うと「そーですよ」とか言われて、近づいてきた女子大学生二名と少し話す。さて、片方がかわいいので少し甘えてみることにします。わたしは時々こういうずるい手を使います。
「おなかこわしちゃって、日本の薬もし持ってたらくれない?」ときいてみた。すると「あとでガイドさんにきいてみるね」と答えてくれた。部屋番号教える。116。
そのあと、ちゃんとその子が部屋まで来てくれた。一緒にインド人の日本語ガイドがいる。症状について話すと(筆者註;これの一日前の日記でここについて書きます)、「その昨日買ったっていう薬を見せてくれますか」というので見せると、これが一番いい薬だとのこと。なんだ合ってるじゃん。ありがとうございます、ご親切に。あと君、かわいいよ。いわゆる「弱った子ナンパ」を展開したわたしは、ちゃんと名刺わたして携帯の番号を聞いておいた。日本についたらあっちからすぐ連絡しますね、と言ってた。心待ちにしてます。きゃっきゃっきゃ、成功成功。
そしてようやく今、21時半。ようやく全部書き終えた(っていうか、ノートからテキストに起こしてるのだけど。カトマンドゥのネットカフェから)。寝ようかな。明日はネパールかあ。
あ、さっきの子の名前聞くの忘れた……。
付け足し
ガンガーでちゃんと死体が浮いているのを見た。自殺者と子供は焼かずに流されるんだって。むごい。だからあの浮いていたのは自殺者かなあ。自殺しなくたって、バラナシでは、富か健康かのどちらかがないと死ぬと思う。全くすごいところだと思う。呆れる。フランス人も呆れてた。
21. august 2005
ミャンマーにいます
ミャンマー二日目。この国は軍事政権。なので、インターネットに規制がかかっていやがる。たとえば、ホットメールがつながらない。メールが読めない。仕方ないから諦めますけど。
とりあえず、いろいろなことが起こっているので、またまとめてニューデリーについたら書きます。お楽しみに。
ニューデリーならホットメールが読めると思います。nishioyouhi@hotmail.comまでお願いします。
これからインド、そしてネパール。その先はわからない。うん、なんかすごい旅です。コメントお待ちしてます。コメントつくとうれしいので。ぜひ。
17. august 2005
旅日記一回目
一日目 成田国際空港→バンコク・ドンムアン空港
はじめてと言ってもよい、長期旅行なんである。
この先の一ヶ月をどのように過ごすのかなんて、気分としては全く他人事といった面持ちである。そのため、この旅のために準備を始めたのは、出発当日、しかも出発3時間前であった。さておき、飛行機の搭乗のための締め切り時間は待ってはくれない。というわけで、まりん(砂原良徳)がTOKYO
UNDERGROUND AIRPORTで言うところの、不便な国際空港、成田へ向かった。
空港の雰囲気は好き。とりあえず免税店があったり、ワシントン条約違反で没収したアルマジロの剥製がこれみよがしに陳列されていたりするせいか、もしくは外国人がいっぱいいるからだろうか。まあ、どうでもいい。んで、まず取った飛行機の座席取り+リコンファームのため、空港備え付けの専用マシーンを使ってボーディング・パスを振り出し。これだけで乗り込む準備は完了と、あっけないもの。空港税も今は含まれているので別に用意しなくていいし。あとはイミグレの際にパスポートとボーディング・パスを共に審査官に渡せば、儀礼的にすんなり出国となります。
イミグレの向こうに入ると、免税店とかがありまして、同伴したうちのお父さんはタバコを3カートン購入。裏チャンネルで僕はおなかがすいていたので、軽食堂に入ってラーメン(900円。タイならこれで一日暮らせるのに)を注文。こんなところで食う、しかも法外な値段で中の下くらいのなんの変哲もないラーメンを食べるなんて、屈辱以外のなにものでもありませんし、どんなものでも君にかないやしません。まったくなんだ? この旅行者値段。ここはイベント会場か。箱根温泉街か。なめるなよ? そんないちいちの不愉快な思いを残したまま飛行機に乗り込みました。今回はBA(ブリティッシュ・エアウェイズ)。それにしても飛行機のフォルムっていつみてもかっこいいなあ。
で、乗る。出発であります。飛行機は滑走路で加速し、乗客にもぐんぐんGがかかっていく! きゃあ! 最高! そして本当はここで機械類使っちゃいけないんだけど、隠れてまりん(砂原良徳)の『TAL』を最大音量で聴くのです。わー、鉄の塊が飛んでいく! 飛行機ってアホっぽいところもいいですね。飛ぶか? 普通。
機内はすっかりみなさん大人しくなっちゃって、面白くない。統合失調症(精神分裂病)は100人に一人の割合で発症するというが、なぜここで分裂しないのか。憤懣やる方ない。機内の緊張が一気に高まったりとかしたら面白いんだよ。貧乏人とブスは乗れるけど、たぶん相撲取りは乗れないエコノミークラス。次回は統合の方が乗っている飛行機に乗りたいとおもっています。ロト6よりは確率は高いのではないのでしょうか。
さてその機内、時間が少し経つと機内食が運ばれてきました。チキンかパスタかのどちらかを選べるというので、チキンに。でも量がやたら多い上、なぜかケーキまでついてくるしつこいかんじ。残す。そして食事が終わるや、次は客室業務員からせしめたペプシを飲みながら前の席を蹴飛ばして威嚇。そのうちに客室乗務員の顔立ちのよい男の人が僕と父親に話しかけてくるという不思議な事態に発展。話の内容は旅の話なので普通ですが、まさか客室乗務員(以下パーサー)さんと名刺交換をすることになるとは思いませんでした。
そんなこんながありながらも、飛行機は無事にドン・ムアン空港に到着。そして入国審査。これはやたらまた時間がかかる。この入国審査、デスクの上にこちらを向いたデジタルの顔まわりをパスポートと照合するってので、カメラがほんのり赤く光っていました。赤くなると早くなるのは、バンコクだけに万国共通ですね。巨神兵がドーン!とにかく並ぶしかないため不機嫌になるのだが、このイライラは空港を出てすぐ寄ってくる客引き兄ちゃんへ罵倒を浴びせるのに使えばいいや、と気を取り直す(その後、やってきた客引きには罵声を浴びせてやった。でも多分日本語じゃわからないんだろう、と思うとまたイライラする。人間は考える葦である)。今回は荷物の全てを手荷物にしているので、荷物が出てくるのを待つ必要もなし。さっさと「ナッシングデクレア」の出口からすんなりとタイの地に降り立ちました。
さてさてそんなこんなで、タイ王国到着です!
すぐに空港で円を少しだけバーツへ両替して、空港リムジンバスを利用してホテル近くで降りる。ホテルまでは5分くらい。でもその道のりでトゥクトゥク(バイクのうしろに客席が付いている地元臭漂い、ボった値段をふっかけてくるはみ出し者たちの商売)に声をかけられまくる。
「エブリウェア60バーツ!」(筆者註→1バーツは3円)
おうおう。そうかいそうかい? まじでどこでも行けるんだ。そこで言ってやりました。
「エブリウェアっていったよな! オッケー、じゃニューヨークまで」
なんてウィットをかましながらも、重い荷物に死にそうになりながらチェックイン。ホテルはいがいときれいで、机も広く使えて安い割には問題なし。今日はさすがに疲れたんでした。
16. august 2005
イミグレーション





