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到着しました。

成田からLAX(ロサンゼルス国際空港)へ。そこから初めてプロペラ双発機に乗り継ぎ、LA郊外に到着しました。

実は出発前に知人が非業の死を遂げたため、ショックを受けています。
わりと最近に会って話をし、メールのやり取りをしていただけに、死んだという事実がまだ受けいられていないようです。

死んでしまえば、肉体だけになり、それはカラッぽなんですね。
では、カラではないときの肉体のどこに心が宿っているのでしょうか。わたしたちが覚えているのは、その心との接触であり、残された肉体に記憶が宿るわけではないことに気づきました。当たり前のことを書いているようだけれど、最近、自分自身が全身麻酔を行ったときにも同じことを考えました。

閑話休題。

こちらは暑いです。
砂漠に近いせいか、夜は涼しいのですが、実はLAは24年ぶりなのです。ちょっとだけこちらの高校に通っていたことがあるので、飛行機の窓の外からみえたときは、なんとなく昔を思い返しました。

LAの税関の女性職員の対応はとても気持ちがよかったです。
アメリカへの入国には、テロ対応のため厳重な検査でいつも嫌な気分にされますが、今回職員の対応はすばらしかった。

トランジットしてから着いたローカル空港の職員もすばらしい対応で、驚きました。LAにはロクな思い出しかないので、ちょっと見直しました。

ホテルは家族向けの長期滞在型。レストランとか、ありません。クルマがなければどこにも行けないLA郊外なので、近所(といっても、すごい遠い)まで歩いてレストランを捜しました。

あったのは、吉野屋、マクドナルド、ウェンディーズ、デニーズ。……栄養失調になりそうな予感。

本日は牛丼を食べました。なぜ、海外まで来て牛丼なのか(涙)。まあ、日本では食べられないので贅沢はいいますまい。アメリカ牛の肉がてんこ盛りでした。日本の特盛りがこちらの並ですね。

yoshinoyala2.JPG

食べきれないので、飲み物ともども残りは捨てました。もったいないと思って食べると、アメリカでは大変なことになるので即捨てです。

吉野屋をあとにすると、美しいカリフォルニア・サンセットがみえました。

calfsunsetla.JPG

今年にはいって、知り合いが二人も亡くなり(しかも、二人とも若い)、対極的な死に方をしました。一方は生きたいのに死に、一方は死を求めていました。
どちらもやりきれませんが、どうせ死ぬのだから、心というものがあるうちに、いろんなことをセンスしたいと思います。痛いことから、気持ちよいことまで。

死んだらカラっぽなので、心があるギリギリまでだれかになにかをしてあげられたらいいな……。

さようなら。> Y

コメント (3)

ひみ:

ひみです。

無事に着いてほっとしてます。
いってらっしゃいメールをした時なんとなく気になっていました。
私もクラスメートの告別式に20代の頃参列してから近しい友人のそういう場面に何度か遭遇しました。
そしてkobaと同じような思いをしました。
どんな人もその時を迎えるけど送るのは経験したくない。

心通じあえる時間を長くもちたいね。

道中、気をつけて。

ご友人のご冥福をお祈りします。

先日、女房の浜松の友人が自殺してしまいました。昨年の春、事故で夫を亡くした方だったんですけど、子供3人を残して。
もし僕たちが浜松にいれば何か力になれたかもしれない。なれなかったかもしれないけど。

手が届くうちに、手に届くところだけに何かをしてあげたいですね。

ひみさん、nomad、書き込みをどうもありがとう。

その知人も自殺でした。
最後にメールで「死にたい」と言っていたのが気になっていましたが、まさか本気だったとは……。

なにかしてあげられたような気もしますが、結局、無力だったと思います。

なによりも、その知人に残された近しい人のほうが気がかりです。

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2006年09月29日 12:04に投稿されたエントリのページです。

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